キャラの価値観とどうして私は煉獄さんで泣いたかの話
煉獄さんみた?
私は見た。泣いたよね
泣いただけじゃなくて「キャラとは何か」ってヒントを得たんだ。せっかくだから書くね。
キャラは価値観
結論から言うと「キャラとは価値観」だ。価値観っていうと難しいけど「何を大切にしているか」ってことだ。
「キャラとは反応だ」という説がある。確かにそれも一理ある。
怖がりのキャラがいるとする。道端に落ちてる手袋にも怖がってたらそれは確かに「怖がりのキャラ」として認識される。でもこれだとただの反応マシーンだ。なぜそのキャラが怖がりなのかが描かれていないから。
怖がり、怒りっぽい、いじけやすいとかはすべて性格を表す言葉でこれでキャラも作れるけど一番大事なのはそこじゃないんだ。性格とキャラの価値観は別物で並列なんだ。
まさに鬼滅映画に出てきた「精神の核」=キャラの価値観がキャラの魂なんだ。
炭治郎の価値観
炭治郎の場合は「家族」だ。何よりも家族が大事で家族である禰豆子を治すために成長したり戦ったりしてる。
だから家族を侮辱されたり傷つけられると怒る。でもこれは反応であって価値観ではない。
反応はキャラの価値観から生まれてくる副産物であってそこの順序を間違えちゃいけないんだ。
「家族を傷つけられると怒る」から派生して「仲間や人間を傷つけられると怒る」に派生していく。反応はいくらでも応用が利く。
でも精神の核はひとつだ。そしてその核はあまり揺らがせないほうがいい。そこがブレるとキャラの感情にノレなくなるから。
つまり「優しくて真面目」な性格+「家族を大切にしている価値観」=炭治郎だ
キャラ=性格+価値観
なんだきっと!
煉獄さんの価値観
煉獄さんはどうだ。煉獄さんの価値観は「強く生まれた自分は人を助けるためにその力を使う」だ。「自分は人を助けるために生まれてきた」だ。
これは煉獄さんのお母さんからの遺言だ。煉獄さんはこの価値観を体現してアカザと立派に戦った。
でも正直この価値観は母の呪いでもある。強く生まれたのは煉獄さんの意思ではないのに、勝手に「強く生まれたから人を助けろ」なんて。
現代の価値観(これはこれで偏っているが)からしたらオイオイだ。
だから煉獄さんは自身の価値観を体現しているようで母の価値観を体現している。
煉獄さんは母に認められたいからその価値観に従った。(母の価値観に疑問を呈したりその価値観を自らの精神に受肉するシーンはない)
鬼になって生きながらえる道もあったのに。
何で私は煉獄さんで泣いたのか
でも泣いた。なぜだか泣いた。
それは煉獄さんが価値観を全うしたからだ。正直この価値観にはつっこみ所があるが、その価値観を遵守し母との教えを守ったという1点で泣いた。
私が泣いたのは煉獄さんが人を守ったからではなく母との約束を守ったからだ。そこに煉獄さんの人間性がある。
大義ではなく個人の思いがそこに見える。
もっと言えば煉獄さんの根本の価値観は「家族を大切に思う」かもしれない。そこから派生して「家族との約束を守る」「母の教えを全うする」に派生する。
だから母の「強く生まれたから人を助けろ」という無茶ぶりを全うできたのだ。泣ける。
価値観のぶつかり合い
価値観自体に優劣はない。アカザの価値観や無惨の価値観だって立派なひとつの価値観だ。
少年漫画はバトルシーンが多いけど、それは肉体だけじゃなくて価値観と価値観のぶつかり合いなんだ。
なんだか価値観価値観言っててよくわかんなくなってきた。
とにかく煉獄さんで泣いた。
ありがとう煉獄さん。
いやあ映画ってほんとによいものですねえ